『Nabeちゃんの学び』の足跡

自分の中の当たり前や思い込みを見つめ直していきたいと思います。

社会での『学び合い』の姿

最近のニュースでウクライナ関係の現状について知り、いろいろと考えることがありました。

 

その1つが、「支援疲れ」があるのではないか、ということです。戦争が始まった頃は、国境を超えたところで配られるスープは、避難民支援の象徴でした。しかし、戦争が日常となった今、以前のような動機をもつことが難しくなっている、という現実もあるようです。

 

そんな中、スープを作り、瓶に詰め、避難民に配ったり、前線の兵士におくる活動を行っているボランティア団体の方の言葉が心に残りました。

ロシアの本格侵攻から1年が経とうとしていますが、支援疲れは「考えたこともない、必要とする人がいるから」と笑顔で話していました。

もはや戦争については人は話さなくなったそうですが、それでも考えていることは「できることをやる」ということ。

支援活動は1つのことの上に成り立っている、それは「それをやりたいか」ということ。

誰もが多忙で仕事も家庭もある中、支援に必要なのは「心」だということ。

「支援をせずにはいられない」そういうものだということ。

 

このニュースを見て、これらの言葉を聞いたとき、この方たちが支援を続けられている理由を考えました。そして、自分にとって「得」だと思っているから続けられているのだと、私は思いました。

 

学校での『学び合い』が、その心が、社会に出たときの1つとして「こういう姿」にもなっていくのではないかな、と思いました。