『Nabeちゃんの学び』の足跡

自分の中の当たり前や思い込みを見つめ直していきたいと思います。

最初の語りをなくすこと

今週は2日間に分けて、西川研のゼミ生15名から『学び合い』の授業を見ていただきました。また、西川研以外の院生にも参加してもらうことができ、私にとって有意義な時間となりました。

 

4月の4回目の授業から最初の語りはしていません。「なぜ最初の語りをなくしたのか」「最初の語りをなくしたきっかけは何だったのか」という質問を両日とも受けました。うまく整理できていなかったので、今、私が考えていることをまとめたいと思います。(号令は1回目の授業からしていません。)

 

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・授業開始時間になったら、私が話をするまで生徒が待っている時間がもったいないと思いました。

 

・だったら、私が教室にきて話をするまでの時間に今日の課題に取り組んでいれば、時間がもったいないということは解消されるのではないか、と考えることができます。しかし、取り組んでいる状態を中断してまで、私が話をすることが効果的なのか疑問があります。

 

・なぜなら、最初の語りを入れることで、生徒たちの心が受け身になってしまう気がしています。私は西川先生のように上手に語れません。だから、語りが強制となり、レールの上に乗せてしまいそうな気がします。

 

・そもそも、子どもたちの心に火をつけるのは、教師なのか? 教師でいいのか? という思いがあります。お互いの心に火をつけられる集団であってほしい。そういう集団をつくることが私のやるべきことだと思っています。

 

・また、ノーチャイムの学校で、その意味を考えました。「時計を見て行動できる力」を、「自分の席に座って教師が教室にくるのを待つ」ことにつなげたいのか、「それぞれの課題に向かって、学びをスタートする」ことにつなげたいのか。当然、後者です。あとは私が邪魔をしないことが大切かと思いました。

 

・以上のような考えに加え、目の前の生徒たちがもっている学び方が、「教師から教えてもらう」「教師からコーディネートしてもらう」となっており、それを変えたいと思いました。生徒には、「最初に号令をし、私が話をする時間すらもったいないから」と話し、課題に取り組む時間の保障につなげました。

 

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それでも、最初の語りはあった方がいいのではないかという意見もいただきました。私としては最初の語りがない方が今はすっきりしているのですが、子どもたちにとって何がいいのかこれからも考え続けていこうと思います。