「夢みる小学校」上映会(その4)
久しぶりに「夢みる小学校」上映会を振り返ってみました。
印象に残った言葉
「取り戻したいのは、楽しい時間。ホッとできる時間。コロナで遅れた学習ではない」
学校って楽しい。それだけでいいのではないか。
勉強をしなくていい、ということが言いたいわけではありません。
演じなくていい、我慢しなくていい、ということ。
その人がその人らしくいられる時間が、学校の授業中でありたい。
でも、すべての子に同じことができることを求めてしまっているのが私の現状。
何をどう学ぶかは、先生からの指示で決まるものではなく、自分で、自分たちで決めるもの。
夏休みまでラスト1週間。全員達成の意味を再考したいと思います。
子どもがやりたいことをやりたいときに
息子、娘がやりたいことをやりたいときにやらせてあげたい。
この3連休(といっても明日がラスト)、そして、夏休み。
学校ではいろいろ制限があるが、なんとかここに近づけたい。
だから、『学び合い』なんだろうと思う。
教師が強制せず、子どもの「やりたい」を大事にできれば、子どもはきっと学ぶ喜びに出会えるはず。
そうなれば、たとえ失敗したとしても「またやろう!」となり、「できた!」という達成感や、「もっと!」という意欲に自然とつながっていく。
そのためには待てるかどうか、そしてその子が所属する集団の成長を促していけるかどうか。
強制すればやるかもしれないけど、そうやってしたとしても、続かないし、果たしてどんな力がつくのか。う~ん、上手にやっているふりをする力はつくかもしれない。
だから、受け身の授業スタイルで、主体的にさせようとしていること、しかも全員を主体的にさせようとしていることが不自然さを生んでいるんだよなあ、って思う。
やりたいことをやりたいときにできてこそ、主体的になれるのではないだろうか。
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写真は、木登りがしたかった今日の息子。
長岡の丘陵公園でTMCAの方から指導をしていただきながら木を登りました。
木の枝の上に立ったり座ったりできて、自然の風を感じながら上からの景色を楽しんだようでした。
その子がその子らしく
その子がその子らしく育っていける場が、学校であり、地域であってほしい。
休日、息子や娘が友達と遊んでいる。
みんな、その子らしさがでているなあと感じるし、お互いが関係し合って成長していることが見てわかる。
学校は・・・ 学ぶことが用意されていて、子どもたちはそれを必死にこなしている状態ではないだろうか。
どうしてそんなに必死なのか。
成績のため? 受験のため?
学期末ですが、「その子がその子らしく」であれな、テストも通知表も全員には必要ないよな、と思えてくる。
1対複数(その2)
昨日と同じ授業を、昨日とは違うクラスで実施しました。
「1対複数」だけでなく、「複数対1」もある。そういえば昨日もあった。
それから、昨日のクラスとの共通点が見つかった。
それは、教える・教えてもらうの関係が、いつもとは逆になっている。
だからなのか?
ますます、異学年学習がしたくなりました。
1対複数
中1の数学は今日から方程式に入りました。
単元の最初はA3のレポート用紙の左半分に取り組みます。
右半分は今は白紙で、方程式の学習が終わってから、新たに印刷された右半分に取り組みます。
左半分は、今ある知識で、試行錯誤の上で何とか解ける問題となっています。
右半分は、左半分と同じ問題ですが、方程式を使えばとても楽に解けます。
単元前と単元後の自分の考え方の変化や、何ができるようになったかを実感できるといいなあと思い、今年度から始めています。
その課題が良かったのか、今日の『学び合い』はとても楽しかったです。
いつもの仲良しグループではない。
分かりたいから、人を選んでつながる。
そして、分かったことを伝えたくなる。
どんどん伝わっていく。
見ている方も楽しい。
「私にも説明してみて」とお願いすると、まあ間違いではないな、とは思いますが、よく分からない。
だから、全体につぶやきました。「天才だ。私には分からない。だから、いろんな人とつながって、いろんな考えを聞くことは価値があるんだよなあ」と。
授業のラストは、自分がどのように考え求めたかの「自分なりの説明」をお互いに聞き合いまくっている。
う~ん、おもしろい。
いつもと違ったのは、学び合う多くの姿が1対1ではなく、1対複数であったこと。
複数だから、その中で分からない生徒がいても、分かった生徒がすぐに教えることができていた。
そして、複数の分かった生徒が、クラス全体にどんどん広げていった。
単純で、しかも、がんばればできそうな課題であったことが良かったのか。
全体の雰囲気がそうさせたのか。
『学び合い』の不思議を感じた日でした。
本当の拍手
昨日のことであるが、子どもたち全員の「本当の拍手」を見た。
「私、やります!」と手を挙げた生徒。それを応援する周りの生徒たち。
今の子どもたちは、誰かに決めてもらうことに慣れているように感じる。
だけども、何度も話し合いの場を設け、みんなで考え、悩み、小さな対立を乗り越えて、「本当の拍手」まで辿り着いた。
すてきな姿を見せてくれた我がクラスのみんなに、今日も感謝の気持ちでいっぱいでした。