『Nabeちゃんの学び』の足跡

自分の中の当たり前や思い込みを見つめ直していきたいと思います。

教科のおもしろさ

先日の札幌『学び合い』の会の中で、

自分の専門教科のおもしろさって何だろう?

ということを考えました。

 

私は中学校の数学を担当しています。

そのとき、頭の中で考えたことをまとめてみました。

 

「長さや大きさを測ったりしなくても、数を数えたりしなくても、計算することでそれが分かる、または正確に分からなくても予想することができる。さらに時間という軸を超えて、過去はどうだったかとか、未来はどうなるのか、ということも予想することができる。」

 

これが数学のおもしろさの1つではないかと思います。

 

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大学院で、「深い学び」って何だろう?ということを考えた授業がありました。

私なりに納得していることは、

・意味が変わるときに「深い学び」となっている。

・そのときは、「わー、すごい!」という衝動が心の中で起こっている

ということです。

でも、これって、人それぞれ違うと思います。

つまり、意味が変わる人もいれば、何も感じない人もいる。

何も感じない人が悪いのではなく、興味関心や、それまでの経験などは人それぞれ違うということです。

 

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その教科のおもしろさも、人それぞれ違います。

以前、中学3年生に聞いてみたことがあります。

「円周角の定理って、円周角か中心角かどちらかが決まれば、もう一方は測らなくても大きさが分かる。これってすごいことだと思う?」と。

 

聞いてみてびっくりしました。

この子は数学的な見方・考え方に優れているし、楽しそうに問題を解いているので、きっと「すごい」って思っているだろう、という生徒に限って、「すごい」って思っていませんでした。

教師が生徒一人ひとりを見とることはできない、ということを実感しました。

 

ということで、人それぞれなのですが、「私は」ということで、私が思っている数学のおもしろさを授業で話しました。それを聞いてどう思ったか、明日、生徒に聞いてみようと思います。

 

ちなみに、中学3年の最終単元「調本調査」に今週から入りましたが、その中で、湖の中にいる魚の数を推定する問題があります。

湖の中の魚は動くし、見えないところにもたくさんいるはずです。でも調本調査を行うことで、比例式をつくり、およその数を計算することができます。

 

おもしろいと「私は」思います。でもこれに関しては、私の思っていることが伝わっても伝わらなくても、生徒たちの将来の幸せに何ら影響はないことも自覚しています。