道徳
一昨日、上越『学び合い』の会に参加しました。
2年間、運営のお手伝いをさせてもらっていた上越『学び合い』の会は、私にとってはつながり続けたい方たちとつながり続ける大切な場です。
今回は、道徳について考える場を設けていただきました。ありがとうございました。
道徳に限ったことではありませんが、どんな考えでも否定されず、他と違う考えでも認めてもらえる「安心感のある集団」に育てていくことの大切さを確認できました。
自分の素直な感情を出しても、この仲間なら受け入れてくれる。
そういう集団であれば、「必ずしもみんなと同じことを言わなくてもいいんだ」となり、自分も相手も大切にできるのではないかと思います。
とにかく、「教師が言ってほしい答えを探そうとする道徳」はしたくないと強く思いました。
上越の会でいただいたヒントは、「自分にとって得なことは何かを考える道徳」です。
道徳的実践力と言えばいいのでしょうか。行動が継続されるかどうかは、自分にとってメリットがあるかどうかです。
例えば「あいさつ」であれば、あいさつをすることが自分にとってどんな得があるのか、を考えることで、結果的にそういう行動(求められている言動)がとれる生徒が増えるのではないかということです。
だけど、結果を求めすぎない。そして、そのときに自分の答えが出せなかったとしても、いろんな考えがあることを知ったのなら、それは意味ある道徳授業だったのだと考えます。
実はそれをよく知っているのが教師なのではないでしょうか。これまで何千人という子どもたちと関わり、いろいろな考え方を知り、でも答えは分からなくて。過去を振り返ったとき、いつに間にか教師である私自身が成長させてもらっていることに気づきました。