学校の「当たり前」をやめた。(その2) ~宿題という名の残業~
先日、息子がある通信教育会社のオンライン無料体験レッスンを受講しました。
いくつか種類がある中で、絵や工作が好きな息子は迷わず「アート」を選択しました。
すごく楽しそうに受講していました。
その様子を見ていると、息子にとって学校の宿題は本当に意味がないということを実感しました。
そのとき、この本の中で宿題について取り上げているところが思い出され、もう一度読み返しました。次のように書いてありました。
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「学校でしっかり勉強をして、家では好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、スポーツをしたり、あるいは、ぼんやりと思索する時間の方がよほど有意義。そうした時間の中で、自分自身の内面や思考が整理させ、大切なことに気づいたり、思いついたりすることは、たくさんあるに違いない。」
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息子は、やらなくてはならないものだからやっています。
うちの息子に限らず、そのような子どもが多数であることは容易に想像できます。
何事も「やらされている」が続けば、無気力になっていくものです。
でも、学校は良かれと思ってコントロールしようとする。子どもはコントロールされればされるほど、主体性をなくしていきます。
教員がブラックと言われていますが、子どもたちもかなりブラックです。
宿題という名の残業をやらなければ、親や先生に怒られる。そして、本当にやりたいことができない。
宿題をやることで、みんなが同じことを同じようにできるようになる。このことの価値はそんなに大きいことなのでしょうか?
やりたいことをやって、その子の得意を「超得意」にしていく方が価値あることだと思うし、そのような時間の使い方の方が幸せなのではないかと思いました。