『Nabeちゃんの学び』の足跡

自分の中の当たり前や思い込みを見つめ直していきたいと思います。

テスト監督 (その3)

テストの点数は、教科内容を暗記し、それを正確に表現できたかどうかに大きく左右されると思います。思考・判断・表現の問題であっても、結局はやり方を暗記すればできます。

これから生きていく上で、暗記していることがどれほど大事なのかと思いながらテスト監督をしていました。

「その知識」を使いたいとき、もし思い出せなければ調べればいいだけのことです。教科書を引っ張ってこなくても、今の時代は簡単に調べることができます。

もしそれでも分からなければ、それに詳しい人から教えてもらえば解決します。だから、多様で多数の人とのつながりが大事だということになります。

それを学校で、教科の授業の中でやっていくことが、一人ひとりの幸せにつながっていくのだと思います。

 

勉強と学び

 

「主体的・対話的で深い勉強」ではなく、「主体的・対話的で深い学び」となっています。

暗記を強制された勉強は苦痛です。だから、テストが終わればすぐに忘れます。

学びは、覚えているものです。そして使いたくなります。使っているうちに自分のものになります。

そして、さらに学びたくなります。自分の中での問いが生まれているからだと思います。

最近、「学校は与えられた問いばかりかもしれないけど、それを自分の問いにできれば、学校の勉強も学びになる」という話をしました。

これは私の言葉ではありませんが、真似をさせてもらい、同じようなことを話しているうちに自分の言葉となってきている気がします。

「同じバスに乗る」と表現されている方がいました。その乗車券を得るには、つながる必要があります。つながるにはSNSはとても有効です。私はその価値をとても実感しています。

でも学校はそれをさせないようにします。・・・

 

というようなことを悶々と考えながらテスト監督をしていて、はたして私はテスト監督ができていたのか心配になりました。