『Nabeちゃんの学び』の足跡

自分の中の当たり前や思い込みを見つめ直していきたいと思います。

「落ち着いている学校」とは?

体育座りの悪影響に関する記事を読んで思い出しました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/84d459d9a01a45c5184234574c141c853bfe04dc

 

以前勤めていた学校では体育館で行われる全校朝会などの際、体育座りではなく、あぐらをかいて座ることが認められていました。「腰が痛くなる」などの理由を一部の元気の良い生徒が学校に訴え、それが認められたという経緯を異動した4月に聞きました。それにしても、あぐらは変だと思っていました。「落ち着いている学校」ではない、と当時の私は捉えていました。

 

「落ち着いている学校」ってどんな学校?

 

「うちの学校は落ち着いています。子どもたちは言われたことには素直にやります。でも、それ以上のことはしないのが課題です。」

 

ここ数年、このような言葉をいろいろな学校の先生から聞きました。

 

あぐらが認められていた学校は、数年後は全員が体育座りをして「落ち着いている学校」となりました。その結果、生徒たちは教師に「もっとこうしたい」ということを言わなくなり、指示を待つようになりました。多くの教師にとっては居心地の良い学校となったのです。

 

「落ち着いている学校」とはどのような学校なのでしょうか。一人ひとりのパワーが弱く、「これでいいじゃん」となり、「子どもたちが教師に思いをぶつけることをあきらめた学校」「子どもたちが考えることをやめた学校」となってはいないでしょうか。

 

これからの社会は、何かを言われてそれを確実にやるだけの人間はAIに淘汰されてしまうかもしれません。言われて確実にやるだけなら人間よりAIの方が優れているからです。そのような社会で目の前の子どもたちが生き残っていくためには、「落ち着いている学校」を考え直す必要があると思います。

 

そういえば・・・ あぐらが認められていた学校は、「ここ、テストにでるよ」と言ってもあまり効果がない、と嘆いていた先生がいました。「ここ、テストにでるよ」と言えば、目の色変えてメモをし、集中しだすことが自然だと当時の私も思っていました。

でも彼らが自然だったのではないだろうか。その学びが自分にとって得だと感じなければ、自覚的に「やらない」という選択肢を彼らはとっていたにすぎない、と今の私は思います。

 

 

子どもたちがもっているパワーを、集団の向上、成長、未来の幸せにつなげていけるようにしたいです。教師の願いと適切なミッションが共有されれば、きっと子どもたちは「おもしろいこと」をやってくれるはずです。