『Nabeちゃんの学び』の足跡

自分の中の当たり前や思い込みを見つめ直していきたいと思います。

4月の『学び合い』①~⑨

4月は『学び合い』の授業を9回しました。

西川先生の本を読み返すことはしませんでした。読み返せば読み返すほど、『学び合い』をすることが目的となるような気がしたからです。これまでの西川先生との対話、ゼミ生との生活、Facebookを通してつながることができた方々からの学び。これらを信じ、自分の心に沁みついているもので「心の授業」をすることを目指しました。

 

 

・あるとき、授業の途中で学習支援員の方が何気なく教室に入ってきました。問題に向かっている子どもの側にすぐに寄り添い、楽しそうに教えてくださいました。その姿を見て「うらやましいな」と思う自分がいました。でも、「子どもたちの学びの邪魔をしない」と私は決めていたので、落ち着いて全体を見続けることができました。支援員さんが子どもたちから少し離れたときに、支援員さんと教室の後ろでお話ができました。なぜ『学び合い』をするのか、子どもたちがどんな姿に変わってきているのか。支援員さんと仲良くなりました。

 

 

・50分の授業の中で45分間は、私は基本的に見ているだけ。私が話さない方がいいと思っています。だからなのか、関係ないことをしゃべり続けている生徒がいたとき、私が嫌な顔をしても、誰もそれに気づいていないと感じました。その子に「授業はあと〇分、期待しているよ」と声をかけても、効果がありませんでした。でも、最後の5分でクラス全体に対して「私が気づいているんだから、みんなの中で私よりも先に気づいている人がいるんじゃないかな」と話したら、次の授業からは関係ないことをしゃべり続ける生徒はいなくなりました。

 

 

・4回目の授業から、私が教室に行くと『学び合い』が始まっている状態になりました。よって、この日から最初の語りはなくなりました。

 

 

・7回目の授業では、「あー、なるほど、天才!」「お~そういうことか」といった声が、これまでで一番多く聞かれました。意外でした。7回目の学習内容はこれまでで一番簡単だと私は思っていたからです。事実、一斉授業をしていたときは、ここが一番教えやすかったからです。でも、子どもたちにとっては逆だったということを、子どもたちの姿から教えてもらいました。

 

 

・8回目の授業中、私に考えを説明しサインを求めてくる生徒がいました。初めてでした。私(教師)を選択肢の一つとして活用し出しました。依存ではなく、自立した姿を見ました。

 

 

・授業のラスト5分になると、私が何も言わなくても子どもたちは自分の席に戻ります。「先生、話していいですよ」という視線を私に届けてくれます。45分間、私が見てきたものを5分間で語るのは難しいです。でもこの5分が次の授業につながっていきます。いや、子どもたちの将来につながっていくと信じています。私、まだまだです。

 

 

・いつだったか・・・ 授業中にある生徒に「がんばって!」と言いました。その瞬間に「あれっ、何か違う」と思い、変な感じがしました。つい出てしまった「がんばって!」という言葉。心の中でその生徒に「ごめん」と言うことしかできませんでした。私、まだまだです。

 

 

素敵な姿を見せてくれる子どもたちに感謝をし、5月も楽しみたいです。