『Nabeちゃんの学び』の足跡

自分の中の当たり前や思い込みを見つめ直していきたいと思います。

「正解」

中学校や高等学校は卒業式ウィークでした。過去の卒業式で、当時の卒業生が歌った卒業記念合唱の歌詞が思い出されます。

 

 

「答えがある問いばかりを教わってきた」

 

「答えがすでにある問いなんかに用などはない」

 

 

私が3年間、学級担任・学年主任として担当した学年の生徒たちが歌った曲です。どのような思いでこの曲を選び、そして歌ったのか、今なら当時の彼らの本心を理解できる気がします。

 

答えがある問い、答えがすでにある問いを解き続けることに対し、彼らは生きづらさを感じていたのでしょう。そして私は、工業化社会のコードに囚われ、彼らが受験で合格するための戦略を与えていたのでした。

 

つまり、「基礎的・基本的学力の保障」という名のもと、まったく興味がなく、不得意なものも学ぶことを強いてきたのです。この曲を聞くたびに、彼らの笑顔が思い出されるのと同時に、後悔の気持ちでいっぱいになります。

 

 

「僕たちが知りたかったのはいつも正解など大人も知らない」

 

 

彼らが知りたかったのは、教科書に書いてある解き方やテストの答えではありませんでした。答えが一つではなく、経験と対話を積み上げることによって見えてくる「生き方」だったのかと思います。

例えば、この曲には次のような歌詞があります。

 

「想いの伝え方」

 

「一番大切な君と仲直りの仕方」

 

「大好きなあの子の心の振り向かせ方」

 

「傷ついた友の励まし方」

 

 

過去の私は気付いていませんでしたが、今は思えます。私が教師として彼らにできる最大のプレゼントは、仲間である。そして、幸せのモデルを与えたい。「自分自身の幸せの創造ができる子ども」を育てられる教育をこれからはしていきたいと思います。

 

 

「なに一つ見えない僕らの未来」

 

 

だからこそ、一人も見捨てられない学校・社会を目指して。